Tong Poo

2年ぶりに中国の地を踏んだときには、もう夜はすっかり更けていた。上海地鉄の駅を出て夜風に当たると、風の芯にある八角の香りが中国に来た感を強くさせる。しかし、その肌合いは以前訪れた北京のそれとは少し違っていた。この違いは2年という月日を、それとも、2都市の距離を表しているのだろうか。

 

夜が明けると、再び地鉄に乗って上海の雑踏の中へ。場所は変われど、簡体字の印象と八角の香りは、中国に通底するものらしい。ビル街から市場へ、少しの移動でラディカルに変化する景色を、この2つが辛うじて連続させている。

 

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屋台の軒先から覗く高層ビルに、2年前見た王府井の景色を思い出す。

ただ、北京ではこんな綱渡りをする必要はなかった気がする。思えば、北京には赤色の調和があった。

ビルの看板、屋台の電飾、交差点に掲げられたスローガン、至るところにある大小の赤色と、それらが醸し出す空気。路地裏まで漂うそれは、新築のビルをもすぐに北京の一部へと仕立て上げる。

 

それに、北京の街は東風で満ちていた。放射路を伝ってやって来た風は、やがてぶつかり、つむじを巻く。東風の高まりは、天安門で頂点に達する。だが、天安門広場にいると、不思議と巨大な渦からは、外側から見たときのような荒々しい印象を受けることはない。むしろ、渦の内側には規律や矜恃の響きがあった。

 

北京では、格子路は東風の旋律を隅々まで響き渡らせる装置である。

 

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対して、上海には風の集まる中心もなければ、放射路や格子路といった仕掛けもない。街角の風はただどこからともなくやってきて、またどこかへ消えていってしまう。

 

こうして風に吹かれるように行き当たりばったりに進んでいると、外灘に着いた。右岸の超高層ビル群と左岸の西洋建築群、赤色を感じさせない2つの地区が向き合うここは、ある意味、最も上海らしい場所かもしれない。けれど、黄浦江が運んでくる鈍い風にあたっていると、ときに、あの東風の響きが懐かしく感じられる。

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20世紀の初め、この地に移り住んだ英国人は、突如出現した西洋建築に何を思ったのだろう。租界として、超然とあったこの地区では、微塵も赤色を感じることはなかったかもしれない。新古典主義アール・デコ様式のファサードが彩る街路は、一見するだけでは、欧米のどこかを切り取ってきたかのように見える。

だが、街を漂う空気や風までは、流行のファサードでも覆うことはできなかったに違いない。

彼らも通り抜ける風の肌合いに異国を感じ、そして母国で恐れていたような東風が、上海には吹いていないことに少し安堵したことだろう。

 

もっとも、それは北京にさえ東風が吹き始める前の話であるけれど。

 

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