1月21日東京にて

夕方、南西の空からやって来た宇宙ステーションを見ていた。
金星をかすめ、旅客機を振り切り、圧倒的な速度で東京の空を渡る光をただ、見ていた。

 

『機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい。』

 

その迷いのない軌道になぜか、どこかで読んだスローガンめいた文章をふと思い出す。
調べると、20世紀初頭に未来派という一派が残した「速度の美」を華々しく称揚する言葉らしい。

 

だが、宇宙ステーションの光を目にしていると、未来派が自動車に見出していた美しさは、純粋な「速度」というよりもむしろ、煙を上げ咆哮する自動車のマッシヴな肉体性にあるのではないかと思われてくる。自動車の速度はあくまで、その肉体に付属するもので、だからこそ、速度の化粧のない像として、サモトラケのニケが引き合いに出されたのではないか。

 

東京から眺める宇宙ステーションには、もはや肉体と呼べる機械の気配は一切なく、ただ一粒の光があるばかりだ。
けれど、その光の粒は金星や、他のどの星とも違っていた。
音もなく、5分間で東京の空を渡り切ってみせたそれには、確かに純粋な「速度の美」があった。